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今・ここを生きる【ワンネスあれこれ】

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スピリチュアル・霊性

こんにちは🦊

本日はふと思ったことをつらつらと書き連ねてみました。

あれこれ脱線していますが、お楽しみいただければと思います🤓

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ひとつ目掛けて。

最近、統合ワークを行ったり、色々な方の書籍や動画をを読んだり観たりする中で思うのは、

皆、ひとつのことを多角的に突き詰めていっている(目指している)、ということです。

ここでいう「ひとつ」というのは言葉で表してしまうと、結局その言葉の意味に限定されてしまうので、中々表現するのが難しい(だからこそ多角的、多次元的なアプローチの仕方がある)と思うのですが、一言でいうなら「ワンネス」、つまり全ては繋がっている、ということです。以下「ワンネス」と表現させていただきます。

例えば、「神聖幾何学」や「カタカムナ」と言ったジオメトリックな観点から「ワンネス」に繋がったり、

量子的(物理学的な)観点から「ワンネス」であることに辿り着いたり、

直結的にスピリチュアルな事から「ワンネス」を知ることもできますよね。

そしてそれは、他の人の体験から書籍や動画を通して学ぶこともできますが、一人ひとり、自分自身が様々な体験を通して学んでいくことでもありますよね。私自身「気づき」の段階や捉え方は違えど、ぼんやりと感じ取ってきたことだなと思います。

例えば、年齢を重ねるにつれ、何かを知るたびに「自分はなんて狭い所で生きていたんだろう」と自分の意識の狭小さに呆れたこともしばしばありました。学問的なものであったり、精神的なものであったり、なんて狭い考えしか持っていなかったんだろう!と。井の中の蛙とはこの事だと。でもそれを何回も繰り返すんです(笑)

中・高・大、会社とコミュニティを変えながら、そこでの人間関係や活動を通して何回も何回も。時に堂々巡りを繰り返しているのではないかと思うほどに(実際そうだったと思います笑)そうやって螺旋を描きながらぐるぐるとある一定のサイクルを繰り返していたのかもしれません。

おばあちゃん

でもそうやってある程度人間年を取っていけば「魔が取れて」、丸くなっていくもの………..。競争社会に身を置いていた頃は「早くおばあちゃんになりたい」と思っていたこともありました(笑)ここから抜け出して、ありとあらゆる「欲」を無くしてしまいたいと願っていたんですね。もちろん自ら踏み入れていただけでしたし、それも学びでした。

おばあちゃんって無私の心でただ家族や周囲の人のためを思って「今・ここ」を生きていたと思うんです。

「7歳までは神様」なんて言ったりもしますが、年を取って呆けていくと「赤ちゃん返り」するって言ったりもしますよね。もう7年前に亡くなった母方の祖母が昔「年を取って自分のことが出来なくなっていくと、お世話してもらうでしょう?おっきな赤ちゃんだよねえ、元に戻っていくんだねえ」と笑いながら言っていたのが印象的でした。祖母はピンピンポックリ、だったんですけどね!(笑)

父方の祖母は認知症を患って、ゆっくりと戻っていくように旅立って行きました。施設に入っていましたが、段々と孫が判らなくなって、会いにいくと女学校のお友達だと思っているようでした。ありありとその時代を思い出している様子を見て、記憶って自分では忘れてしまったと思っても、いつまでも存在し続けるんだなあと思ったのを覚えています。祖母はどこか遠く、こことは違う次元にいるような気がしました。また、亡くなるちょっと前に孫みんなで会いにいった時(お正月でした)、もう言葉を発することも出来ない状態でしたが、祖母の瞳がキラキラと輝いて、嬉しそうにしていたのを鮮明に覚えています。その時は確かに皆同じ空間を共有しているのがわかりました。

だから人は肉体に限定される存在ではなくて、魂はいつでもどこまでも行けるんだなと思いました。

「ニシノマジョカラ ヒガシノマジョヘ オバアチャンノタマシイ、 ダッシュツ、 ダイセイコウ」 

西の魔女が死んだ、より

(その後)

夫と入籍届を届けた日、母方の祖母と祖父、ご先祖様が祀られているお墓と父方の祖母を祀るために新しく建てられたお墓にお花を持って挨拶に行きました。二つのお墓は車で30分ほど離れた距離にあります。あいにくその日は土砂降りの雨だったのですが、

「じいちゃん、ばあちゃん、生きてるうちに会わせてあげたかったねえ」と挨拶をしていると、

一瞬だけ分厚い雲から光が差したんです。それも、二回とも。

まるで「おめでとう」と祝福してくれているかのようで、二人で号泣しました(笑)二回とも(笑)

あれは今でもご先祖様たち、天国からの祝福だったと思っています。ちなみに父方の祖父は今も健在!私の結婚を誰よりも喜んでくれました(孫6人の行く末をとても気にしてくれている)。長生きして欲しいです。

ミクロがマクロに作用する

と………..つい話が逸れてしまったので、

元に戻します。

そうやって、人生の流れの中でほんのり気づいていくものも沢山あると思うんですが、以下のこともその一つです。

大学時代に「タンパク質の凝集」について学んだことがありました。「アミロイド」と呼ばれるものです。例えば、アルツハイマー病は「アミロイドβ」というペプチドが「凝集体」即ちタンパク質を形成することで発症するとされているんですが(色々説があります)、その凝集過程って、結晶のできる過程と同じなんです。

ある一定の時間(律速段階)を経て、「核」が形成されると、一気に加速してドーンと結晶が出来る。

それがまるで人が何か物事を成し遂げる時と似ているなと感じたんですね。例えば何か資格を取るにしても、まず興味を持って本を読んだり情報収集したりしてじっくりと自分の中に「核」をつくりますよね。するとその核が自分の中心となって活力や意欲が湧いてきて加速し、そこに向かって励んだ結果資格を取ることができ、さらに資格を取ったことで自分や他の人のために何かできるようになる。

資格云々にかかわらず、小さなことでもそんな風になってるな、と思ったんです。そうやって結晶の粒やタンパク質の粒のような分子と同じ動きを人間もするんだろうな、と。

実際、人間は80兆以上の細胞でできているんだし、地球から見たら、人間は一つ一つの細胞みたいなもので「ミクロな動きがマクロな動きに影響を与える」、これが繰り返されてるだけなのかもしれないなあ、と。生物の階層構造とも同じですね。当時、そんなことをグルグルと同期の子と明け方まで語り合ったのを覚えています。

その頃は人間はいくら自分で考えて動いていると思っていたって「結局物理的なエネルギーによって支配されていて分子みたいに動いているだけ」みたいな結論になった気がします。世の中の不平等は「エネルギー」を生み出すためと。だってエネルギーは高低差から生まれるから、風が高いところから低いところへ吹くように、きっとこの不平等は無くならないね、と……….。

実際はちょっと違うんですけどね(笑)「0」ゼロに全てのエネルギーが詰まっているんですよね!(この辺りのお話もまたできたらなと思います)

ただ、【足立育朗さんに学ぶ!全ては愛と調和、微生物からできている】でもちょこっとお伝えさせて頂いたように、宇宙の最小単位はフゲーエキンという微生物さんで、その微生物さんたちが回転素粒波運動を絶え間なく続け、それがミクロからマクロまで繰り返されることで宇宙は成り立っているんですよね!

ですから、人間もその一部としてある周期を繰り返しているんだと思います。地球や他の惑星、銀河系もそれぞれ色々なサイクルを繰り返しているのと同じように。

また、ミクロといっても現代科学が観ている「ナノ」「ピコ」というスケールは10の3700万段階まであるうちの、8段階目程度までしか観察していないわけです。つまり、肉眼では見えず、電子顕微鏡で見える範囲を捉えたとしても、それは宇宙から見れば「超マクロ」ということ。

科学物質の「安全性」をそのようなスケールでチェックしたところで、その範囲での安全性は確認できるかもしれませんが、もっとミクロスケールを見てみれば数え切れないほどの微生物の命を奪ったり、動物の命を奪ったりあるいは地球を破壊し続けています。

例えば医農薬だって膨大な時間や資金をかけて、ある一つの化合物を開発し、その過程で動物や昆虫、植物(医薬品は動物)に対する毒性を何回もチェックする訳ですし、身近に溢れている化学製品も基準は違えどそうです。ではなぜ生態系は破壊され続け、緑は失われ地球に住めなくなるから火星に移住しよう、なんて言い始めるくらいになってしまうのでしょうか。そもそも倫理的に…….なんて言いますが、結局は人間のために他の生命の命を奪うなんて超絶傲慢な考えに過ぎない訳です。人類が地球に何をしでかしてきたか、ということです。

もちろん、人々がそんな風に考えてる訳もなく、ただ誰かを想って普通に暮らしているだけなんですけが、そこに無条件の愛があったかと言われると結局ほとんどの場合「エゴ=自己愛?家族愛?民族愛?人類愛?」だったんですね。

もちろん、良い悪いとかの話ではなく、それも学びなんです。

そしてもう破壊し尽くすところまで来てしまっている訳ですが(地球はいっぱいサインを出してきました)、これからは人類以外の生命、自然、地球と調和的に共生していくことに重きを置き、そういった在り方を学んでいく時代です。

※かく言う私はそんなことを微塵も考えたことなく暮らし、特に大学時代はたくさんの汚染物質を世に排出しました。化学産業廃棄物の行く末は、「埋める」んです。地球に。そしてそのことに気づいた今でも化学製品などにお世話になっていますから、なるべく減らしていきたいと考えています!。この辺りについても別記していきたいと思います。

右脳的、左脳的

また話が逸れてしまったのですが、

小説や映画、音楽や絵画といった芸術からも普遍的な真実「ワンネス」を感じることがあると思います。

幾何学や量子的な分野、学問といった数学的で左脳的なアプローチ。心理学や文学、アート。五感を使った右脳的なアプローチ。人生を通じて感じる体験型のアプローチ。

全は一で一は全、全ては宇宙を内包し、宇宙は全てを内包する。

結局は、皆それぞれが一つ一つ違う体験をしながら同じたった「ひとつ」目掛けて進んでいるんですよね。経路は違えど同じ目的を持っている(これまた状態関数みたいですよね)。

一人ひとりができること。

だからこそ、一人ひとり、何ができるかといったら、

何か立派なことを成し遂げなさい、とかそういうことではなく、

それぞれが個々のあるがままの「今」だけに集中して生きることなんだろうなと思います。

それは何かに執着したりするのではなくて、あるがままを受け入れ、手放し、直感に従って生きるということです。

ということで無事タイトルに落ち着かせることができたでしょうか……….(笑)

いやはや、、、、考えを短くわかりやすく言語化できる方って本当に素晴らしいですね!

私はこの乱文乱筆スタイルでいきたいと思います(笑)

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

それではまた。

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